2025年2月27日、推定7~9歳の女の子モヒートが虹の橋へと旅立ちました…
モヒートは保護主様がいた野良猫ですが、新しい飼い主様を探すために2017年9月に当会で引き取りしました。
保護時は人に馴れていなく、威嚇していたモヒートですが、数年かけて少しずつ撫でられる良さを知り、撫でるとお尻を高く上げたり控えめにゴロゴロと喉を鳴らしてくれるようになり、モヒートのペースで徐々に人を好きになってくれていました。
元々はとても食いしん坊で、好き嫌いもなく何でも食べるモヒートは、ピーク時5キロのポッチャリ体型だったのですが、口内炎で口が痛くご飯が食べれない時もあり、食べれない時はステロイドや抗生剤の注射をしていました。
2024年の2月頃からは身体の様々な所にハゲができるようになり、酷いところは皮膚炎をおこし化膿してしまいました。
病院での診断結果は、長期間ステロイドを使っていた事や猫エイズ陽性なので発症の可能性もあるとのことでした。
猫エイズ発症の根本治療はないため、緩和ケアが中心となり、皮下点滴やステロイド等の注射をしながら少しでも自力で食べてもらうための治療を行いました。
亡くなる前日もステロイド等の注射をしてもらい少しご飯を食べていましたが、翌日の2月27日にモヒートは天国へと召されました。
皆さまとモヒートの冥福をお祈りしたいと思います…
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虹の橋へ旅立った子
しっぽの会で亡くなった子たちのメモリアルページです。
この子たちのことは生涯わすれません。
この子たちのことは生涯わすれません。
2025年2月14日、推定6~8歳のオスのウララが虹の橋へと旅立ちました…
ウララは、幕別町で交通事故に遭い負傷動物として帯広保健所に収容され、骨折の影響で排尿の感覚がなくなってしまっていたのか、尿は寝ているところで垂れ流し、排便はトイレでできていたそうですが、人に慣れていないことや治療が必要なことから2022年5月、急遽引き取りしました。
引き取り後、かかりつけの病院で診察していただいたところ、口内炎が酷く口の中が真っ赤で舌に潰瘍がありカリシウイルスでした。
また、レントゲンを撮ったところ、左後肢大腿骨がボキボキと折れていて骨盤も骨折し、その影響で出血による貧血になっていました。
容態を良くするために、まずはしっかりと栄養を摂り、口内炎や潰瘍の治療を行うことになりました。
ウララは、食いしん坊だったので口が痛いながらもしっかりご飯を食べてくれ、2ヶ月後の再診では、折れていた骨もそれなりにつき、足も伸ばせる様になったり高いところにジャンプしたりと生活に支障もなさそうだったので、手術はしないことになりました。
ですが、2023年3月からヨダレの他にも口から膿が出るようになり、ご飯が食べれない日が出てきました。
そこで、長期で効くステロイドや抗生剤、インターキャットで治療することになり、最初は注射の間隔を空けても効果が持続していたのですが、どんどん間隔が短くなってしまい、2024年8月頃からはステロイドを注射しても前ほど食べてくれなくなりました。
舌の付け根にあった潰瘍は大きく咽全体が真っ赤で口内炎も酷く、獣医師からも今までこの状態で良く食べてたね、と言われるような容態でした。
その後は食欲を出すための注射や飲み薬で少し食べたり食べなかったりの日々でしたが、やはり口が痛くてヨダレや膿が出てきてしまうので、ステロイドの種類を変えて注射してもらうことになりました。
貧血も酷く、少しでも状態を回復させるために2月6日、鼻にカテーテルを入れて栄養を流すことにしましたが、貧血はさらに悪化し赤血球数もかなり少なくなっていることからおそらくエイズウイルスが原因との診断を受けました。
下痢も酷いため流す栄養の量が多いのかと量を減らしてみたりしましたがやはり吐いてしまい、2月13日にはカテーテルを縫い止めていた糸が取れたことや栄養を流しても吐いてしまうことからカテーテルを抜くことにし、翌日の2月14日、ウララは天国へと召されました…
皆さまとウララの冥福をお祈りしたいと思います…
2025年2月10日、推定13歳のミサが虹の橋へと旅立ちました…
ミサは2017年9月新十津川町で迷子になっていたところを保護され滝川保健所に収容されましたが、残念ながら飼い主のお迎えはなく同年12月に当会で引き取りしました。
しっぽでの生活も7年と長くなりすっかり高齢になりましたが、日々穏やかに過ごしていました。
昨年2024年10月から体重が徐々に減り出し、下痢を繰り返したり、食欲がなかったりと体調に波が出始めました。
年末にはトイレのあとで倒れてしまい入院し、腸管出血による貧血と診断されました。
年明けに退院してからは貧血も少しずつ改善され、ご飯もモリモリ食べていたので、まだまだミサは頑張れると思っていました。
ところが、2月10日、いつもは完食する朝ご飯を残し、その後立ち上がれなくなったので病院に向かいました。
病院の診断では、心雑音が酷く心臓発作を起こしたのではないかとのことでそのまま入院となりましたが、数時間後に息を引き取ったと病院から連絡がありました。
あまりに突然のことで、まさかと今だに信じられない気持ちです。
皆さまとご一緒にミサの冥福を祈りたいと思います。
2024年11月17日(日)、推定5ヶ月の男の子 チフユが虹の橋へと旅立ちました…まだ飼い主さん募集前の段階でした。
チフユは栗山町の餌やりの多頭野良の過酷な現場から保護した子猫です。
猫たちは皆シラミが付いており、痒みに襲われていたり、重度の猫風邪になっていたり、敷地で車に轢かれたりと悲惨な状況で暮らしていました。
保護時、当会の猫舎は満杯な状況でしたので、預かりボランティアさんのお家で看ていただきましたが、もともと臆病な子でしたが、すぐに慣れてくれて人が大好きなゴロスリニャンになりました。
11月3日様子がおかしいと病院を受診したところ腹水が溜まっていて、血液検査の結果からおそらくFIPに感染しているのではと緊急入院しました。
直ぐに治療を開始しましたが、極度の貧血で13日、14日と続けて輸血してもヘマトクリット値が上がらずステロイド投与し、鼻からカテーテルを入れて高栄養のフードも入れました。
腹水もまた溜まって辛そうでしたが、お見舞いに行ったスタッフに触って欲しくてスリスリと甘えてました。
16日には三度目の輸血をしましたが、他の病気も併発しているようで片側の肺はウィルス感染によるものか硬くなり無気肺になっているとのこと…酸素室にいても苦しそうにしていました。
亡くなった17日の朝は容態は安定していたそうですが、朝8時に一気に大量の血を吐きチフユも血だらけになったそうです。
死因は吐血性ショックでした。
過酷な現場から保護されてこれから先、幸せになれると思っていただけにショックは大きく、スタッフ間にも無力感と焦燥感が募りました…
しかし、保護していなければあの過酷な現場で人知れず亡くなっていたのですから、一時だけでも預かりボランティアさんの元で甘えながら暖かなお家で過ごせたことは、チフユにとって最高の至福の時間だったと思います。
皆さまとチユフの冥福を心よりお祈りいたします…。
チョコは、2024年2月7日に千歳市内の多頭飼育案件で引き取りした推定8~10歳のミニチュアダックスの女の子でした。
引き取り時は、乳腺腫瘍と思われる小さな腫瘍が多数あり、避妊手術の際に切除手術も行い経過を観察していました。
その後、首にも腫瘍があったので二度に亘って手術をしましたが、首の腫瘍は血管腫でお尻は脂肪腫でした。
また歯石も酷く、劣悪な環境下で何のお世話もされていなかったことを思うと不憫で切ない思いがしました。
当初は、人に対して恐怖心があり逃げたりしていましたが、スタッフやボランティアさんとも関わることでしっぽを振ってくれたり、人に寄って来たり、散歩出来るようになってきて社会性を学んでいました。
大きな手術も無事に乗り越え、これからチョコの新しい生活への1歩を踏み出した矢先の7月頃から体調が優れなく下痢や嘔吐が続いたため検査をしました。
検査の結果【胆泥症】でした。
しばらくの間は当会で薬を飲ませ様子を見ていましたが、水下痢や嘔吐が続いたため入院しました。
血液検査では膵臓の数値も高く膵炎にもなってました。
チョコが亡くなったと入院先の病院から連絡が入りました。
亡くなる前日もご飯はしっかり食べていたり、下痢も少し収まっていた様子でしたが、胆嚢が破裂したことが死因だったようです。
あまりの急な出来事にショックで言葉を失いました…。
入院中もチョコに会いに来てくださった方も大勢いらして、退院したら会っていただきたいとスタッフで話していた矢先の出来事でした。
食べることが大好きで、ご飯の時間が近づくとワンワン吠えて「早く頂戴♪」と小さくジャンプをする姿や、お散歩中も楽しそうに飛び跳ねる姿はとても可愛くて鮮明に思い出します。
ずっとのお家を見つけてあげれなくてごめんね。
今までありがとう!皆様とチョコの冥福をお祈りしたいと思います…。
多くの皆さまにご支援いただいていたピュアが、5月31日(金)14時過ぎに虹の橋へと旅立ちました。
ピュアは、推定8~10歳のラブラドールレトリバーの男の子で、2月7日に元ブリーダーの多頭飼育崩壊現場から引き取りして4か月の僅かな期間ではありましたが、本当にいろんなことがあり、あっという間の4か月でした。
当会スタッフもこれまで何度も介護や看取りをしてきましたが、ピュアは相当重症だったのにも関わらず、名前の通り本当にピュアな子だったので、介護冥利に尽きると同時に思い出がいっぱいで、未だに思い出すだけで胸が熱くなり涙が出ます。
口の中にはこれまで見たこともない程の大きな腫瘍があり、体はガリガリに痩せて骨と皮、立つことも出来ないほど衰弱していました。
この状態ではとても手術はできないと言われ、どうしたらこんなことになるのかと怒りながらも何としても体力をつけなければ、どうやって食べさせたらいいか?毎日そのことばかりでした。
保護時は、口の中のわずかなすき間にカリカリと缶づめのお団子を手で入れる、そんなやり方でしか給餌できなかったのですが、幸い食べることは出来たのが救いでした。
少し体重も増えたかな~と感じつつ、同時に腫瘍も大きくなっていきました。
断脚予定の後ろ足も毎日洗浄が必要でスタッフで協力しました。
なんとか手術の予定になる頃には少し立てるようになり生きる力に感動しました。
そしてついに3月4日(月)、酪農学園大学附属動物病院で、下顎の腫瘍切除、思うように食べれなくなるため胃瘻(いろう)、DIC(播種性血管内凝固症候群)のため右後肢の断脚手術と3つもの大手術を受けました。
しばらくは胃瘻の生活でしたが 口から食べても良いと許可が出た日は、食べやすいようにとイスの上でカリカリを食べさせ、スタッフで良かったと笑い合いました。
その後はみるみる元気になり、3本足でもしっかり歩き、下りの段差のある場所も難なくこなし、車の移動も問題なく、時には男らしい野太い声でしっかり吠えることもありました。
何といってもゴハンの時間をものすごく楽しみにしていて、ヘリコプターのプロペラのようにブンブンとしっぽを廻しました。
手術後は、このように順調回復していきました。
しかし、飼い主募集を始めた矢先の4月中旬にまた口の中に赤い斑が出来て、あっという間に前回同様の大きな腫瘍になってしまいました。
大学病院に再手術の予約もしたのですが、既に肺への転移があることや食べることが大好きなピュアのために腫瘍は若干削り取る程度にすることがQOLを落とさないことと考え、抗ガン薬の投与に変更となりました。
落ち込んだのは人間ばかりで、当のピュアはいつもと変わらず、尻尾をブンブンと廻し、いつも通りに1日給餌量の倍以上をペロリと平らげご満悦でした。
そうして、あまりにお腹がパンパンになり腹水が溜まったものと思いかかりつけの病院を受診したところ、お腹の殆どが腫瘍で埋め尽くされているとのことで余命1週間の宣告を受けました。
亡くなる2日前の5月29日にはとうとうカリカリも食べなくなり、最後に口にしたのは、茹でた鶏のササミでした。
そして翌日に静かに天国へと旅立ってしまいました。
ピュアを多くの皆さまが気にかけてくださり 沢山のご寄付やご支援や物資もいただきました。
わざわざ面会にいらしてくださる方や様々なかたちで応援いただきました。
皆さまとご一緒にピュアの冥福をお祈りしたいと思います🌈
12月24日(日)、ジョンが虹の橋へと旅立ちました…。
ジョンは推定11歳のトイプードルのオスで、2021年7月に家庭の事情で当会に来ました。
突然、環境が変わりとっても不安でいっぱいそうなうえ、噛み癖があるため担当スタッフ以外はお世話に関わらないようにしていました。
自分の思うようにいかないと噛む子でしたが、人は大好きで抱っこも大好きでした。
もともと食事に好き嫌いがある子でしたが、数ヶ月前から食欲がなくなり元気がないので、診察をすると貧血の数値が低く、エコーで見ると脾臓と肝臓の様子がおかしかったため、もしかするとリンパ腫など血液の病気になっている可能性もありました。
ただ脾臓や肝臓単体の病気の可能性もあるため、重度の貧血の原因が何かを調べるためにも大学病院で検査をしていました。
大学病院で検査をするまでに薬で対処療法をしていたので食欲も一時は戻り、バクバクとご飯を食べて、常に人の目が届く担当スタッフの側にお部屋をお引越しし、抱っこをねだってワンワンッと元気に鳴いてもいました。
夜は担当スタッフが自宅に連れて帰り、人が好きなジョンの為に出来る限りのことをしていました。
ジョンが亡くなった日もいつもと変わらない朝を迎えました。
数日前からあまり食欲もなくなってはきていましたが、ゲージから出して欲しくて元気よく鳴いていたので、こんなに突然のお別れになるとは思っていませんでした。
お昼前に突然フラフラとしだしたため、病院に連れて行きましたが、脳貧血からくる酸欠で病院に着く頃には手足も動かなくなっていました。
直接の原因は心臓からくる脳貧血でした。
前々から心雑音もあり心臓の薬は服用していましたが、こんなにも突然亡くなってしまったことに、驚きと戸惑いしかありませんでした。
難しいところもあったけど、愛くるしかったジョン…。
皆さまとご一緒にジョンの冥福をお祈りしたいと思います…。
11月25日(土)夜、ダミアンが虹の橋へと旅立ちました…。
ダミアンは2020年4月に札幌市動物管理センターから引き取りした現在13~15歳のオスでした。
元々、ダミアンは、保護当初より呼吸が苦しそうで、先天性の横隔膜ヘルニアでした。
また、先天性のものなのか骨が弱く、少し高い所から飛び降りただけで骨折をしまい、免疫力もないため体調を崩す事が多い子でした。
終生預かりボランティアさんは、高齢にもなり体調も優れないなか頑張るダミアンに、たくさん抱っこをして余生を静かに穏やかに過ごさせてあげたいと仰り、11月19日(日)に看取りでご自宅に連れて行ってくださいました。
そして、その後、わが子としてお迎えしたいとお申し出くださり、ダミアンは我が子になりました。
肝臓腫瘍で、末期の病状だったにも関わらず、迎え主さんが大好きで、終始膝の上にいてゴロゴロと甘えていたダミアン。
大大好きな気持ちが病気の苦しみを乗り越えさせてくれているようでした。
迎え主さんが大好きで、赤い糸で結ばれていたのかも知れません。
終生預かりボランティアさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さまとダミアンの冥福をお祈りしたいと思います。
推定15-17歳のボルタンが、10月23日22時頃、終生預かりボランティアさんの元から虹の橋へと旅立ちました…。
ボルタンは、一般譲渡が出来ないため殺処分対象となっていたため、2017年7月に室蘭保健所から引き取りしたオスの柴犬でした。
ご主人が亡くなった後、残された家族は「噛むので触れない」と数年間家庭内野良のような飼育をされ、放棄の捕獲の際には家の中に捕獲機を設置したという、当会でも初めての耳を疑った案件でした。
そのため、何年も散歩に行くこともなく、コミュニケーションを取ることもなく放置されていました。
その爪は伸び放題、室蘭保健所では、「唸る・威嚇する」とのことで、一般譲渡は不可。
人間不信になっていたと思いますが、当会でも当初は触ることが出来ず、鎮静をかけて診察をしていただきました。
そうして約5年弱の歳月を当会で過ごし、すっかりおじいちゃんになったボルタンを2022年3月から終生預かりボランティアさんが預かってくださっていました。
猛犬だったボルタンが好々爺で日々を送れたのも、終生預かりボランティアさんの深い愛情があったからこそと思います。
存在感の大きかったボルタン。
最期は人の優しさや温かさを肌で感じることが出来ました。
皆さまとボルタンの冥福を祈りたいと思います…。
10月6日、ノエルが虹の橋へと旅立ちました…。ノエルは、推定13~15歳の黒猫のオスで、6年前に負傷猫として釧路保健所に収容されていました。長い間野良猫として暮らしていたと思われましたが、当会に来てからも警戒し、人嫌いでした。その後、当会の生活に慣れてからは、触らせてくれたり、フリー部屋の個室に移動する際は、抱っこさせてくれたりするほどにはなってくれました。2~3年前からドライフードを食べなくなり、口内炎があることが分かりました。抗生剤と消炎剤で口腔内の状態が良くなると食べることが出来、それ以外はこれといって悪いところもなく同じ部屋の猫たちとくつろいでいました。ですが、それからは、抗生剤と消炎剤は手放せなくなりました。少しでも副作用の強い薬を減らせるように、副作用のないオゾン治療を始め、定期的に通院しました。血液検査では貧血もありました。薬を飲んでもゴハンを食べなくなり入院しましたが、低体温になり回復の見込みもありませんでした。おそらくは数年前からエイズの発症だったのではないかということでした。最期は何年も暮らしたしっぽに帰ろうと病院にお迎えに行きましたが、スタッフが着いた頃に心臓が止まりかけていました。最期に会うことは出来ましたが、息をしているうちに当会に連れて帰えることはできませんでした。ノエル、ごめんね。つい半年ほど前のことですが、往診時の採血で保定しているスタッフの手をガブっと噛んだノエル。スタッフの手はパンパンに腫れあがりました。お薬をちゃんと飲んだか監視していると『見るなよ』とノエルも細目で見返してきました。それも今となってはノエルとの微笑ましい思い出です。ありがとうノエル、さようなら。今度生まれかえったら幸せなお家の子になろうね。ノエルの冥福をお祈りしたいと思います…。